地震からもうすぐ1週間。
様々な情報が飛び交い、色々な意見を目に・耳にします。身の回りでも、いつもの東京とは違う何かを挙げろと言われるときりがありません(それでも概ね、街は平常通りと言えると思いますが)。
その一つ一つに対していちいちリアクションをしていると、自分の感覚がどんどんすり減っていきそうな気がして、無意識のうちに感覚を遮断しているような気がします。防衛本能としての鈍感さがあるとすれば、今はそれをかなり発揮している最中かもしれません。
まずは自分の足元をしっかりと見つめないと。
というわけで、唐突ですが「買い控え宣言」に続いて「不謹慎宣言」をすることにいたしました。
遊びます。出かけます。お酒飲みます。美味しいもの食べます。
節電に努めて夜7時にネオンの消えている夜の東京なんて、めったに見られるものじゃないのだから、ない知恵を振り絞ってとっておきのジョークを思いついて、末代まで語り継いでもらうように頑張ります。
だって元気だもの。
でも。やっぱり後ろめたいのですよね、不謹慎、って。
「被災していない場所は元気にならなきゃ」「普段通りの生活をして経済を回して」…そういう意見をたくさん目にします。全面的に同意します。
でも、今この瞬間、被災地で食糧や暖房がなくて命の瀬戸際にいる人がいる、とわかっている状態で、たとえ自分ではそれをどうするすべがないとしても、目の前にある仕事に集中したり、美味しい食事や楽しい娯楽を心から堪能したりするのは、やはり、難しいことだと思うのです。
災害って本当に不公平です。
今、一番大切なことは、その「後ろめたさ」を忘れないこと、この矛盾を抱えながら生きていくことではないかな、という気がしています。
論理的には上手く言えないのですが、自己の中に矛盾を抱えていることに自覚的な人が、私は好きです。自分の中に既に境界を持っている人は、他者を排除するのではなく他者と折り合っていく度量を備えているような気がするのです。
後ろめたさを感じつつ、不謹慎を恐れず。しばらくそうやっていこうと思います。
地震と津波で命を落とした人たちはソドムの住民だったはずはありません。少なくとも彼らは、私達より不謹慎で堕落していたから天罰が下ったわけでは絶対にありません。災害とはこのように不公平なものなのだということを忘れないためにも、自分の中の矛盾を簡単に解消しない方がいいような気がしています。
というわけで、本日の不謹慎画像。
私達の「ホームグラウンド」高円寺の居酒屋のあん肝。久しぶりにいただきました。日本酒と一緒に。
あ、今後当分、日本酒は東北のものを心がけて飲むようにしたいと思っています。