人と人との相性があるのだから、
人と街にも相性があるのは当然という気がします。
自分と相性のいい街ってどこだろう。
考えたことはありますか。
私にとって「相性がいいかどうか」は、ある場所を判断する大切な基準です。
私には「田舎」がありません。
お盆とお正月に帰省すると、おじいちゃんとおばあちゃんが待っているところ。
辺りには里山が広がっていて、綺麗な川が流れていて、
親戚や近所の子とお祭りに行ったり虫取りに出かけたりするところ。
そういう原風景の具体的な落ち着き先が私にはありません。
しかも子供の頃から割と引越しが多く、海外も含めて色々な街で暮してきました。
特別に旅行は好きというわけではありませんが、
そんな経験から「旅人ぐせ」が抜けないのかもしれません。
いつもどこか、落ち着き先を探しているような気がします。
どこかの街を何かの用事で訪れるとします。
すると、それがどんな経緯で訪れたどんな街でも、必ず
「ここに住んでいる自分」
を想像してしまいます。
それが容易に想像できるところは、私にとってかなり相性のいい街です。
でも、人見知りならぬ「街見知り」をするので、
そういう場所はあまり多くはありません。
海外で一度だけ、とても不思議な感覚を味わいました。
ルネッサンスの都として名高いイタリアのフィレンツェでのことです。
塩野七生さんの著作をきっかけに、
大学時代に一気にイタリアにのめりこんだ私が、
とりわけ強く憧れた街がフィレンツェでした。
なぜか、ローマでもヴェネツィアでもミラノでもナポリでもなくフィレンツェでした。
もちろん、あの街にしかない、
質量共に桁違いのルネッサンス芸術作品が最大の魅力でした。
ウフィッツィ美術館やピッティ美術館の案内書をくり返し開き、
サンタ・マリア・デル・フィオーレやパラッツォ・ヴェッキオの写真を飽きもせずに眺め、
500年前にこの街で暮していたはずの人々の暮らしに思いを馳せました。
それほど恋焦がれていたフィレンツェを初めて訪れたのは、
1996年の年末のことでした。
イタリアを珍しく大寒波が襲い、広場の噴水が凍りつくほどの気温で、
同行してくれた父はすっかり体調を崩してしまいましたが、
とにかく興奮しまくっていた私は、お目当ての美術館や教会を
片端から歩き回りました。
限られた日程の中で行きたいところが多すぎて、眩暈がしそうでした。
(もちろん、日程の関係でいくつかのスポットは泣く泣く諦めました。)
歩き回っているうちに、不思議なことに気付きました。
重度の方向音痴である私が、初めて訪れたこの街では道に迷わないのです。
もちろん、ガイドブックの地図を片手に歩いているのですが、
結局地図はあまり必要としませんでした。
(ちなみに普段の私は、カーナビがあっても道に迷う人間です。)
もちろん、どんな旅行でもしたこともないほど下調べをしていったのは確かです。
言ってみれば、それまで5、6年かけてずっと下調べをしていたようなものですから。
でも、「下調べをして地図が頭に入っている」感覚とも、少し違う。
いや、それ以上というべきでしょうか。
ホテルを出ます。
サンタ・マリア・デル・フィオーレの丸屋根を確認します。
すると、深く考えなくても自分がこれから行きたい場所の方にすっと脚が向きます。
もうちょっと行くと、そろそろ左側にパラッツォ・メディチの石壁が見えてくるはず、
と漠然と思います。
思いながらずんずん歩いているうちに、ちゃんと壁が見えてきます。
狭い路地を歩いていて、ふと、あの角を曲がるとポンテ・ヴェッキオが見えそうだな、
という感じがしてきます。
試しに角を曲がってみると本当に橋が見えるのです。
このままぼんやり考え事をしながら歩いていても、
ちゃんとホテルに着けるかもしれない。
歩いている間中、そんな感じがしていました。
方向感覚のある人にとっては当たり前のことなのでしょうが、
私はこんなことは経験したことがなかったので、
我ながら相当にびっくりしました。
一体自分はどうしちゃったんだろう?と思い、
その思いがまた高揚感に拍車をかけていきました。
後にも先にも、旅先であれほど効率よく動けたのは初めてのことでした。
もちろん、確信しましたね。
私は多分、この街と最高に相性がいい。
多分、自分の歩幅とか歩いているときの感じ方とかが、
あの街のサイズや風景に合っていたのだと思います。
その後二度と訪れていないフィレンツェですが、
今いきなりフィレンツェのウフィッツィ美術館の前に連れて行かれても、
地図がなくても大体の観光スポットを回れるような気がするくらいです。
ちなみに、今の住所に越してきて2年以上になりますが、
私はいまだにこの街に馴染んでいないような気がします。
頭の中でよく考えないと、行きたい場所に行くのに遠回りしてしまったり、
ごく近所のお店でも事前にきちんと地図を確認しないと
たどり着けなかったりします。
フィレンツェに住みたいとは思わないんですが、
あのくらい相性のいい街に住めたらいいだろうなあ、
と、ときどき思います。