「アスリート(競技者)」という言葉を、私は限界を超えようとする者、と定義したくなるときがあります。肉体的にも、そして精神的にも。
その意味で、自転車ロードレーサーというのはまぎれもなくアスリート以外の何者でもないでしょう。
たとえば、現在開催されているツール・ド・フランス。これは、総延長3000kmを超えるコースを、3週間かけて自転車をこぎ続ける競技です。一日に選手たちが走る距離はしばしば200km近くに及び、しかもコースには標高2000mを超えるピレネーやアルプスの山々も入っています。いわば、「一人箱根駅伝3週間自転車版」。
壁のように立ちはだかる登り坂で加速してライバルを振り切ろうとする運動量は想像を絶します。逆に下りでは、「ガードレールのないいろは坂」のようなコースを生身の体が100kmを超える猛スピードで下っていきます。しかもその間、絶えずライバルとの駆け引きがあり、チームの監督との無線でのやり取りがあり、タイム差やポイントの計算がありと、頭の方も休める暇もありません。
落車、と呼ばれる転倒もつきものであり、一度落車すれば無傷ではいられません。膝から流血していたり、手首や鎖骨を骨折したりしたまま、その日のゴールまでこぎ続けてしまう選手もいます。タフというより、もはや普通の精神状態ではないのかもしれません。
ここまで過酷な環境に身を置いている人間が、ふと、何か「魔法」のようなものに頼りたくなってしまうのは、むしろ当然の心理なのかもしれません。
自転車ロードレースにおいて選手のドーピングは避けては通れない問題になっています。
私が初めてツール・ド・フランスをTVで観たのはもう10年以上前ですが、そのとき既にドーピングは、ツールそのものの開催さえ危うくさせるほどの大問題になっていました。
そして最近、久しぶりにまた観始めたところ、一時と比べていくらか下火になった(ように見える)とはいえ、依然としてこの問題が深く根を張っているのに改めて気付かされました。
正直なことを言ってしまえば、私は、自転車競技からドーピングを一掃するのは極めて困難だろうと思います。つまり、前述の通り一種の極限状態に置かれている選手たちが、何か「魔法の薬」のようなものに頼りたくなる心理そのものをなくすことができない限り、根絶は難しいだろうという意味で。
一見スーパーマンのように見える彼らも、実は、日々恐怖と戦っているのではないでしょうか。
それは日常レベルの恐怖ではなく、戦場にいる兵士に極めて近いものなのかもしれません。「ここから先は死ぬかもしれない」というラインを1mm幅で引いていくような、そんな恐怖に彼らは常にさらされているのかもしれない。
パフォーマンス向上系の薬物だけでなく、コカインのようなドラッグに手を出す選手もいるのです。その根底にあるのは、やはり恐怖ではないかと想像されます。逆に言えば、それほどの恐怖と戦っているからこそ、観ている者を思わず引き込むほど迫力ある勝負になるのかもしれません。
それでも、ファンとしてはやはり、ドーピングだけはやめてほしい。そこはどうしても踏みとどまってもらいたい。薬物は、競争の公平性を損なうだけでなく、選手の体と心をも損なう危険が高いものです。私は、たとえどれほどエキサイティングな場面でも、そんなものと引き換えにしてまで見たいとは思いません。
そこで。
やや唐突に思いついたのですが、ここはひとつ、自転車競技に「鍼灸」を導入してはどうでしょうかね。
マッサージの一環として取り入れたら疲労が取れそうだし、精神的にもリラックスできそうではないですか。しかも、針を刺したり灸を据えたりという行為は、特に西洋人にとっては「東洋の神秘」っぽくて、なにやら呪術めいた雰囲気が感じられるかもしれません。「魔法的なものに頼りたい」という心理にもある程度応えられそうな気がします。
もっとも、ドーピングの背景には「他の選手を出し抜きたい」という密かな欲望もあるわけで、そこの部分はなかなか解決できないかもしれませんが、それでも「このツボは誰にでも効くわけじゃない」とかいう説明をたくみに織り交ぜつつ(笑)、上手くコントロールすることは可能ではないかと思うのですが。
どうでしょう、どこかのチームが試しに始めないかな~。
あ、ちなみに途中随分と深刻な書きぶりになってしまいましたが、自転車ロードレースはそのような陰惨で恐ろしい競技では決してありません。過酷ではありますが、心温まるほのぼのとしたシーンがあったり、バカバカしくて思わず笑ってしまうようなシーンがあったりと、観ていて大変に楽しめる競技です。
機会があれば、ぜひとも見てみてください…って、残念ながら現在地上波ではほとんど放映されていないので、なかなかお勧めもしづらいのですが…。